あらたまのきへ

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 遠江国の軍団で、今日たしかに文献にみえているものは一つもないが、『万葉集』には「あらたまのきへ」という言葉が二か所にみえており(二五三〇番・三三五三番)、「あらたま」は麁玉郡であり、「きへ」は柵戸で、城柵付属の民戸を意味すると一般に解されている。これからすると、麁玉郡に軍団が置かれていた可能性は大きいこととなるし、浜松市の東端、笠井の南の貴平(きへい)が「きへ」にあたるという説もあるが、第六章(三三七ページ)に説くように、この「きへ」を柵戸と解することは無理なので、軍団の所在をこれによって推測することはできない。