軍団の廃止

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 令の軍団の制は、一応形は堂々たるものであったが、外征の必要があればともかくとして、平時にこれだけの労働力を空費することは大きな損失であり、軍団を動員するような事態もほとんど起こらなかったから、弱兵がむなしく国司や軍団幹部の私用に使役されるという状態になり、早くも養老三年(七一九)には軍団や兵士の数が削減され、さらに天平十一年(七三九)には一時兵士を全廃し、諸国の国府の警備すら、兵士ではなく、白丁(はくちょう)(単なる正丁)をもってこれにあたらせるという状態になっている。したがって、令制の軍団が実質的にまとまった活動を示したことはほとんどないのであって、軍団についてはあまり考える必要もない。遠江の地についてとくに説明を要するのは、兵士から選抜されて都や九州の警備にあたった衛士(えじ)と防人(さきもり)の制であろう。