一方、防人は、『万葉集』に東国防人の歌も載せられていて、きわめて広く世に知られているが、つぎにその制度および変遷の概要を記そう。
防人の称はすでに大化改新の詔にもみえていて、その起源は明らかでないが、令の規定にもみえているように、諸国から選抜して北九州の警備にあたったもので、大陸・半島に対する警戒の要から置かれたことは疑いをいれない。令制では諸国兵士の中から一定数を選び、三年間勤務させたのであって、彼らは自国から国司に率いられて難波津(なにわず)に集結し、ここで官使の指揮下に入って大宰府に着くと、その防人司(さきもりつかさ)の隷下に入って警備につくのである。