つぎにはこの口分田を班給されている浜名郡の戸数や人口が記されているが、受田戸数は七五〇戸で、内訳としては一二五戸が神戸といって、神社に属する封戸(ふご)であり、一一〇戸は食封(じきふ)で、皇族・貴族に支給された封戸であって、共に租庸調が神社や貴族の手に入る戸である。そして残りの五一五戸が、普通一般の戸となる。つぎにあげてある人口は、おそらく口分田を与えられている人口で、六歳以下の子供を含まない数であろうが、その人口は五三七一人で、内訳は男二三八五人、女二九四五人、奴(ぬ)一七人、婢(ひ)二四人となる。沢田吾一氏はこの人口などから推算して、当時の遠江国の総人口は約九万人としているが、この計算はそれほど見当違いのものではなく、大体は穏当であろうと思われる。