ところで、これらの口分田を班給された各戸のうち、全部が租を完納するわけではない。今日でも風水害・旱害・冷害・虫害など、稲作には多くの障害がつきものであるが、まして農業技術の未発達な昔には、その害は一層はなはだしいものがあったに相違ない。果たして、この戸口総計のつぎには、一八七戸が損五分以上、三六七戸が損四分以下で、全得は一九六戸だけに過ぎないことが記されている。
この損については令に規定があり、田が十分して五分以上損を受ければ租を免除し、七分ならば租と調を、八分以上の時は租庸調を全免するということになっている。そして、令には規定がみえないが、当時、遠江では四分以下の損についても、租の半分を免除していたことが輸租帳の記載によって知られるのであって、結局、七五〇戸のうち、一九六戸の租と、三六七戸の租の半分が収納されただけであったという形になっている。