津築郷

267 ~ 268 / 706ページ
 新居郷の郷戸・房戸というのはこのようなものであるが、この場合、一郷戸内に幾つかの房戸が含まれているとして、それらの中の主戸ともいうべき基幹の一戸を郷戸、他を房戸と称したらしい。したがって郷戸五〇・房戸六〇というのも、実際の形としては房戸を単位とする、全部で一一〇戸を考えればよいことになる。そして人口を戸数で割れば、新居郷の場合は一戸約六人となり、津築郷はすこし小さい郷で、郷戸二二、房戸一六、計三八戸であり、人口二六八人で、一戸約七人となる。この一戸六~七人というのが、一家として自然の姿であろう。
 この新居郷の総計部分のつぎに、郷内の損戸八四戸が一々列記してあって、たとえば、
 「戸主敢石部(あえしべ)麻呂戸敢石部荒山田壱町壱段壱伯弐拾歩陸段弐伯捌拾捌歩、遭風、損六分、」
というのは、郷戸主敢石部麻呂の戸に含まれる房戸の敢石部荒山の戸は、口分田一町一段一二〇歩を受けているが、風害のため六分を損したので、その損田は六段二八八歩の計算になる、ということを示している。損五分以上は免租であるから、荒山の房戸は租をまったく出さなくてよいことになる。
 
 【風害】この形は津築郷も同じことであるが、注記をみると、これらの損害は一つの例外もなく全部風損であり、ことに新居郷の方は損害甚大で、九七町余の田のうち、全得田、すなわちまったく損害を受けなかった田はわずかに六町六段余にすぎず、津築郷は三八町余のうち、全得は一二町九段余である。おそらく浜名湖南端の新居郷は、台風の被害を蒙ることはなはだしく、湖北の津築郷はこれに比べれば損害軽微だったのであろう。