今日に残された輸租帳は、この遠江国浜名郡の、しかも天平十二年(七四〇)度のものただ一つであるから、これを直ちに当時一般の基準とするわけにはいかないけれども、田の損害が意外に大きく、田租の徴収率が低いことは注目せざるをえない。この輸租帳に記されたところから計算すると、浜名郡では本来徴収可能なはずの量の五二パーセントしか集まらず、他は皆風損を受けたのである。【不三得七】当時、不三得七と称する基準があり、諸国の田租は、正規の量の七割を確保すればよしとされたのであるが、これは穏当なところかと思われる。
田租の徴収率