災害

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 さて、輸租帳によれば天平十二年に、浜名湖南端の地域にかなりの風害があったことが察せられるが、このような災害はしばしば『続紀』にもみえている。遠江国についていえば、大宝元年(七〇一)には遠江を含む十七か国で蝗害・風害があり、和銅三年(七一〇)・天平五年(七三三)には遠江などの国が飢饉に襲われ、天平宝字六年(七六二)に旱害による飢饉があり、延暦四年(七八五)には遠江など四か国が大風のため飢饉となり、同九年(七九〇)にも遠江を含む十四か国の飢饉が伝えられている。これらはいずれも史籍に残された災害で、その都度救済の策が施されたのであるが、このほか史上に跡を残さない大小の災害は決して少なくなかったに相違ない。技術が未発達で、災害対策も不完全な古代においては、これもやむをえないところであろうが、そのたびに住民は苦労を重ねたことであろう。