この浮浪逃亡は、正丁だけのことではなかったようである。正倉院に存する神亀三年(七二六)の山背国愛宕(おたぎ)郡出雲郷雲下里(うんげのさと)の計帳に、「和銅二年(七〇九)逃」とか、「養老六年(七二二)逃」とか注記されている者には、女性もかなり多い。その中に、郷戸主出雲臣吉事の房戸、出雲臣馬養(うまかい)の戸口として、蝮王首(たじひのきみのおびと)真土売(め)以下、宅主売(やかぬしめ)・宅売・姉売という、二十六歳から三、四十歳のおそらく姉妹と思われる四人の丁女があり、これに、「右四人遠江国長田上郡」と注記してある。これは「逃」とは書いてないから、逃亡ではなくて遠江に現在住んでいるということを示すだけのものであろうが、その同じ房戸には、他に女性四人と奴一人について「逃」の注記が存する。
このように浮浪逃亡が続出すると、調庸や労役などの、令制の負担体系は崩れるほかはなく、口分田も放置されて荒廃するおそれがある。しかもこれら逃亡者たちのかなりの部分は、有力な貴族の開墾地に吸収されてそこで労働したと思われ、これを戒める禁令もしばしば出されているが、一般農民がこうして脱落して行く一方、貴族・豪族などが大土地を確保し、開墾してますます富裕になって行くことが推測されよう。
神亀三年 山城国愛宕郡雲下里計帳 遠江国丁女の記事(正倉院文書)