[国司制度の崩壊]

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 出発の当初からしばらくのあいだは、その整備が進むとともに大きな効果を挙げた律令体制も、奈良時代後半に入ると、公民の動揺や、公地制の変化、地方行政、特に国司の不法などのために、諸方面において乱れをみせてきた。そして中央政界でも、かたよった仏教政治や、貴族間の勢力争いによる不安定な状態がつづき、ついに桓武天皇は、父光仁天皇の志を継いで律令政治の中興をはかり、奈良の都を捨てて山城の長岡京に、そしてさらに延暦十三年(七九四)平安京に都を遷して、政治の刷新に乗り出した。こうして平安時代の幕は切って落とされたのである。