すなわち、遠江国司の言上によれば、遠江では前任者の任期中に官の舎屋二五宇、倉一〇四宇が焼失してしまった。よって国司交替に際してこれが前任国司の責任であることを報告しておいたが、この損害を弁償すべき前任国司は、去年十二月四日の大赦(たいしゃ)でその責務を免除されてしまった。よってこのさい、これらの倉などは除去して、後で責任を云々されることがないようにしたい、ただしこれらの建物を取り除くさいには、その材木で焼け残った倉や舎屋に修理を加えたいと言上してきたが、太政官はこれを許可したと『三代実録』にみえているのである。
これを言上した国司は、恐らく清保であることは疑いなかろう。そして彼の前任者がだれであるかは不明であるが、この清保の言上の中には、当時の地方行政を考える上に重要な幾つかの問題が含まれている。