第一には、倉の焼失のことである。田租は主として諸国に蓄積され、これを収納する倉は国府や諸郡に、それぞれ何十も建てられていて莫大な数であった。諸国はこれらの倉から稲を出し、出挙してその利息で行政費・人件費をまかなったり、中央からの命令で支出したりして、年間の収支決算報告を正税帳に載せるわけであるが、この倉が焼失することは古くからしきりに起こった。【神火】その場合、国司や郡司はこれを神火、すなわち神の祟りだと称し、不可抗力としてその責任を逃れようとしたが、なかには不可抗力の火災もあったかもしれないが、責任を追求さるべき失火もあっただろうし、さらには稲の不正使用や着服の結果、勘定があわないのを隠すための放火もあったと察せられる。政府もこの点を重視して、平安初頭にはこのような倉の火災について厳しく監督したが、この遠江の場合も、果たして失火であったか、それとも使いこみを隠すための放火であったかはわからない。