こうして前任者の方はすんでしまったが、清保の方はこの倉の始末をはっきりつけておかないと、後で自分の交替の時に責任を問われるようになっては困るから、はっきり取り除いて帳簿からも削ることを申請して、認めてもらったのである。彼が倉を修理し、四二万束の稲を諸郡に蓄えたのは、この倉の焼失による損害を復旧した功績と認むべき事であるが、清保が元慶七年(八八三)に従五位下から従五位上に進んでるのも、この功績によるものではなかろうか。そして彼は仁和(にんな)三年(八八七)、再び遠江守に任命されている。
清保の功績