駅路に関してもっともまとまった史料は、『延喜兵部式』に列挙してある諸国の駅名である。そのうち、遠江国に関してはつぎのように記されている。
「遠江国駅馬 猪鼻、栗原、引摩、横尾、初倉各十疋、 伝馬 浜名、敷智、磐田、佐野、蓁原郡各五疋、」
【遠江駅名】伝馬の項に掲げられた地名はすべて郡の名であるからとくに問題はないが、考えなければならないのは駅馬の項に並んでいる駅名であって、これをたどることによって、当時の幹線道路を知ることができるのである。
ただし地名の変遷は古来免れないところであり、古地名が保存されるとは限らず、今日からこれらの地を推定するには非常な困難をともなう。したがって、これら古地名の考証にはできるだけ多くの史料を集めてかからなければならない。
この、『延喜式』にあらわれた駅名を考える上に、どうしてもはぶくことができないのは、平安中期に源順(したごう)が著わした『倭名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう」)』であろう。それではつぎに、まず『延喜式』と『倭名類聚抄』の両者について概説した上で、改めて駅路を総合的に考察してみたいと思う。