[浜松の称]

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 さて浜松の称は、この『倭名抄国郡部』の郷名の中に初めてあらわれるのである。浜松という言葉自体は、海辺の松を意味する普通名詞として万葉集以下、多くの歌集にもみえているが、この、白砂青松を思わせる美しい語を、地名として挙げているのは『倭名抄』からのことであって、浜松の地名は現在のところ、この十世紀半ばの『倭名抄』より前には発見できない。
 浜松の名はまことに美しいが、しかし、松の名所であったからこの名をえたのか否かは明らかにしがたい。平安中期の一女性の旅行記とも言える『更級日記』には、後にも述べるように、天竜川を渡り、浜名橋を経て三河に入るくだりに、海浜の松原のさまを記しているが、それは浜名湖南端、いまの新居町あたりの海岸のことと思われ、市内伊場・鴨江付近と考えられている浜松郷とはやや離れている。

倭名抄郷名地図