浜津と浜松

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 ここに一説として、内田旭氏の考に、「浜松」は元来「浜津」であったのを、「ハマツ」とは言わず「ハ」を延ばして「ハーマツ」と唱え、それが浜松に転じたのではないかという(内田旭「浜名湖周辺の上代住民」『郷友』第三号)。高山寺本の浜津の称を否定してかからないかぎり、この説は一案と思われるが、といって断定することもむずかしいであろう。逆に浜松が「ハーマツ」と発音され、それが浜津と記録されたとみることも不可能ではない。さらに考えれば、浜といい津といい、ともに水辺を思わせる名称であるが、今日浜松郷の地と考えられている箇所が、古代において果たしてその条件にかなっていたかどうか。天竜川は古代はいまの河流より西、馬込川の筋を本流としていたとされているから、あるいは天竜川の水流に縁のある地名であったかもしれない。
 さて、浜松の名についての論はこれで打ち切って、つぎに駅名について考えを進めることとしよう。この場合、さきにあげた『延喜兵部式』の駅名や、『倭名抄』の郷名などを考えあわせて行くことになるが、もう一つ、高山寺本『倭名抄』の巻十、道路具第百四十三の条には、七道の駅名を列挙してあり、これは『倭名抄』の他の本には見あたらない貴重な史料である。