湖岸各地の関係位置

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 この文の後半には、「引佐の郡家は艮(うしとら)(北東)に始まり、和治(和地)の江口は甲(東北東)に通ず。」とか、「贄(にえ)代(鵺(ぬえ)代)の宅村は乾(いぬい)(北西)に佇(とど)まり、松柏の鬱林は壬(北々西)に発す。」などのように、湖の中心部から湖岸の四周を見廻した形で、各地の方位を十干と八卦を用いてあらわした部分があるが、そこに、「敷智の邑は震(東)に当り、雄蹋(宇布見)の田疇は乙に開く。紫江(柴江の誤か)の堤防は巽(たつみ)(南東)を遶(めぐ)り、栗原の駅家は丙に儲く。比美の松原は離(南)に亘(わた)り、駅路の挙橋は丁に度(わた)る。浜名の郡家は坤(ひつじさる)(南西)に居り、売愛の大原は庚に帯ぶ。」と記されている。