【湖心から南々東】ここに栗原の駅家は湖の中央部からすれば丙(南々東)の方角にあり、松原は南に、挙橋(おそらく浜名橋のことであろう)は丁(南々西)に、浜名郡の郡家が西南方にあたることが明らかである。これらの記載はもとより磁石で測ったような精密なものであるはずはないが、その大体の見当はいたって穏当なものであることは了解されよう。
そうすれば、この淡海図の文による時は、栗原駅の位置は決していまの浜松市街ではなく、もっと西寄りの、湖の中央からみて南ないし南東の方角に求めなければならない。【篠原村付近か】その正確な位置はもちろんわからないが、あるいは篠原村(いま浜松市内)の辺ではあるまいかと思われる。篠原村は猪鼻駅の浜名から約一二キロで、両駅間の距離が短いきらいはあるが、栗原駅を篠原村付近と仮定すれば、つぎの引摩駅と浜松の引馬宿とはすなおに一致させることが可能となろう。淡海図の記載が、全体として、かなり現地の状況を正確にとらえていると思われる以上、『静岡県史』の栗原駅を浜松市街地に充てる説にはしたがいがたい。