引摩駅

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 つぎに引摩の駅がある。『静岡県史』では、地名辞書の説にしたがい、栗原駅を浜松の引馬宿に充てたから、この駅を流布本によって□摩駅として考え、『倭名抄』の磐田郡駅家郷にあたり、見付の国府の近辺にあるはずとして、遠江国府近くに今浦(いまのうら)という地があったことから、これを伊摩駅と推定した。しかし、『九条家本』に引摩とあるものを無視したことは大きな欠陥であって、この点の説明がつかなくてはしたがうことはできない。一方、引摩はこれを「ヒクマ」とよみ、浜松の引馬に充てるのが、前の栗原駅を篠原村付近と推測した場合にも、もっとも自然と思われるが、ただ、引摩を「ヒクマ」とよむのは、音訓を混用したいわゆる湯桶(ゆとう)よみとなって、古代の地名のよみ方としてはやや変則の部類に属する。また高山寺本『倭名抄』の駅名ではこれが門摩と記されていて、ちょっと解しがたい名となっていることなど、この駅に関しては断案を得ることができない。