目次
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古代編
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第五章 平安時代の政治と社会
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第二節 軍事と交通
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駅制の変遷
浜名橋
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浜名湖の南端を経過するこの駅路は、本来官使連絡用のものであるが、公定の幹線道路であるから、一般の交通路としてももっとも重要な路であったことはもちろんである。ただ、この路線にも一つの障害があった。それは浜名湖南端に架せられた浜名橋である。
『三代実録』の元慶(がんぎょう)八年(八八四)九月一日条に、
「遠江国浜名橋、長さ五十六丈、広さ一丈三尺、高さ一丈六尺、貞観四年(八六二)修造し、二十余年を経て、既に以て破壊せり。勅して、かの国の正税稲一万二千六百四十束を給ひて改め作らしむ。」
という記事がある。
これは長さ約一七〇メートルにおよぶばかりか、幅も四メートルにちかい浜名橋の規模を示す貴重な史料であるが、この記事にみえるような橋の破壊が、しばしば起こって、交通のさわりとなったことが、容易に想像されよう。
浜名湖口図