ここに、湖南を経ず、湖北を通って三河と連絡するいわゆる姫街道の重要性が認められる。すなわち三河国から本坂峠を越え、三ケ日方面に出て三方原方向に通ずる道であって、古来、南方の路線と並んで大いに用いられたと思われ、板築駅という駅も、かつて置かれていた形跡がある。【橘逸勢】『文徳実録』の嘉祥三年五月十五日条には、承和(じょうわ)九年(八四二)橘逸勢(はやなり)が伊豆に流される途中、遠江国板築駅で死んだことが記されている。そこにはまた、逸勢の孝女妙沖尼の有名な話が述べられているが、それはそれとして、猪鼻駅の復興がはかられたのはその翌年であるから、板築駅が湖北の路の駅であったことはまちがいない。その位置は、『遠江国風土記伝』に引佐郡三ヶ日町の日比沢と推定しているが、したがうべきであろう。
文徳実録 版本 嘉祥三年条 遠江国板築駅の記事