この件に関しては、幸いに『松尾神社文書』に長文の立券文の案文(写し)が残っていて、当時の荘園設定の手続きや、荘園の規模が具体的に判明する。『静岡県史』にもこれを詳しく解説しているが、ここにもとくに注意すべき点をあげて説明を加えよう。
池田庄立券文案 首部(京都 松尾神社蔵)
【立券称号 四至】当時、荘園を新たに設定するには立券称号という手つづきを必要とした。これは荘園の設立者が国衙の役人の立ちあいの上で、荘園の四至(四隅)を定め、牓示(ぼうじ)(標識)を立て、荘園内の田畠を注記し(坪付(つぼつけ)という)、荘園の名を定めて官に届ける手続きで、登記のようなものである。