庄官

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 さて、このようにして立券の手続きは終わったわけで、文書の末尾には池田庄の庄官として公文(くもん)・惣検校(そうけんぎょう)(共に庄官の職名)が、本社すなわち松尾社から来た祢宜(ねぎ)、国衙の使、太政官の使として下向した左弁官史生(ししょう)などと並んで署名している。ところでこの国衙の使は、介と判官代(ほうがんだい)の二人であるが、ここでさらに当時の国衙の機構について述べる必要がある。