しかし、国司の方もまた、私利私欲の権化であった。彼らはあらゆる口実の下に徴税に励んだが、同時にあらゆる口実を設けて中央への貢納を怠り、私腹を肥やした。これでは中央の国家財政は到底成りたたない。政府はやむをえず、年給・成功(じょうごう)などの売官によって財政をまかない、さらに朝廷のいろいろな行事の費用を、諸国に割りあてて徴集した。
割りあてを受けた国司は、その減額に努力する一方、国内の国衙領・荘園にこれを割りあてて徴収した。これが臨時雑役(ぞうやく)と称せられるものである。ところがこれを課せられた荘園の側では、それぞれの由緒や先例をたてに取ってこれを拒否し、中央に訴えてその免除を願った。