大体右のとおりであるが、このほか、たとえば長上郡五座の一つの大歳神社は、天王町の大歳神社だとも、蒲の蒲神明宮だともいうように、説のわかれているものや、推測の要素を多く含むものはいろいろあるが、それらは省略する。詳しくは『静岡県史』第三巻についてみられたい。なお、式内社には官幣・国幣の別があり、それぞれに又、大・小の格差があるが、以上の諸社はすべて国幣の小社に属する。これらの社に対しては、毎年の祈年祭に、国衙から糸二両・綿二両の幣物が捧げられることになっているのであるが、平安中期以降、中央での祈年祭の儀式はきわめて厳粛を欠いたものになったようで、諸国でもどの程度確実に奉幣が行なわれたかは保証できない。ただし、国司が任国に赴任した時、第一に行なうことが国内諸神を拝する神拝の儀であることは古くからの例で、これだけは任国にほんのわずかしか顔を出さない受領でも必ず実行したようであるから、式内社全部とはいえないが、その中のかなりの神社に対しては、国司交替のたびに、国司自身もしくはその使者の参拝が行なわれたであろう。