『万葉集』巻一に収められた引馬野の歌は、つぎのようなものである。
「二年壬寅、太上天皇の参河国にいでましし時の歌
引馬野(ひくまの)ににほふ榛原(はりはら)入り乱り衣にほはせ旅のしるしに(五七番)
右一首、長忌寸奥麿(ながのいみきおきまろ)
いづくにか船はてすらむ安礼(あれ)の崎漕(こ)ぎたみ行きし棚無(たなな)し小舟(をぶね)(五八番)
右一首、高市連黒人(たけちのむらじくろひと)」
この、二年壬寅が大宝二年(七〇二)、太上天皇が持統(じとう)上皇を指すことは明らかで、これは大宝二年の持統上皇の三河国御幸に供奉した官人、長忌寸奥麿と、高市連黒人の歌である。奥麿の歌は、
(旅行の記念に、引馬野に色づいている榛(はり)の原に入って、榛を乱して衣に美しい色をうつし給え)
という意味であるし、黒人の歌の方は、
(安礼の崎を漕ぎめぐっていったあの小舟は、今ごろはどこに船泊りしていることだろうか)
との意であるが、前者には引馬野、後者には安礼崎という地名があらわれている。