まず、相聞(そうもん)、すなわち男女間の思情を歌ったものの中に、つぎの二首がある。
「あらたまの伎倍(きへ)の林に汝を立てて行きかつましじ眼(い)を先立たね(三三五三番)
伎倍人(きへびと)の斑衾(まだらぶすま)に綿さはだ入りなましもの妹が小床(をどこ)に(三三五四番)
右の二首は、遠江国の歌。」
この歌の大意は、前者が、
(麁玉郡の伎倍の林に、お前を立たせて待たせているけれども、行けそうにもないから、さきに寝てください)
の意であり、後者は、
(伎倍人の斑布の夜具には、綿が多く入っているが、その女の床に入りたかったのになあ)
という意味だといわれている。
二首ともに、まことに率直な思慕の表現であるが、それとは別に、ここで「あらたまの伎倍」という言葉について一言しておこう。
「あらたまの」という語は、一般には年・月などの枕言葉として用いられているが、ここでは遠江の歌であるから、麁玉郡と考えてよいであろう。そして「伎倍」は「伎倍人」とある点からしても当然地名の類と思われるが、この「きへ」を「柵戸」だと解し、城柵の設備を連想して、麁玉軍団の存在をこれによって推測するのが普通の説であった。