「花散(ぢ)らふこの向つ嶺(を)の乎那(をな)の嶺(を)の州(ひじ)につくまで君が齢(よ)もがな」(三四四八番)
の一首がある。大意は、
(君が寿命は、乎那の嶺が水に沈む時までもいつまでも長かれと祈る)
という意であるが、この乎那の嶺は、三ヶ日の尾奈の山と解されている。引佐細江や尾奈など、浜名湖北岸の地がこのように万葉集に見えているところからも、この地域の開発や交通路の状況が多少とも推測されるであろう。
この巻十四の東歌は、東国方言をよくあらわしたものとしても古来有名であるが、方言といえば、巻二十に収められている東国防人たちの歌も、当然含めて考えなくてはならない。これらの防人歌も、やはり東歌の一部にほかならず、ことに遠江に関しては、その方言ともいうべき語法の特色は、巻十四の東歌にではなく、巻二十の防人歌の中に見出されるのである。
乎那(尾奈)の嶺(引佐郡三ヶ日町)