天平勝宝七歳(七五五)二月、九州の地にあって対外警備にあたっている防人の交替要員が、東国諸国から、それぞれ部領使たる国司に率いられて、つぎつぎと難波津(なにわづ)に到着した。部領使とは、いわば輸送指揮官である。
時に兵部省の次官、兵部少輔(ひょうぶのしょう)であった大伴家持(やかもち)は、勅使とともにこれらの防人を検閲し、遠く九州の地に送り出したのであったが、この防人集結のさいに、彼は諸国の部領使を通じて、防人たちから歌を集め、その中から採るべきものを選んで、この万葉集に収録した。巻二十に収められている防人歌の大部分は、このようにして今日に伝えられたものである。