オウの混同

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 また、「オ」音と「ウ」音の混同も多い。遠江(トホタフミ)が「トヘタホミ」とされているのもその一例であるが、明日より(アスヨリ)が「アスユリ」に、妹(イモ)が「イム」に、白羽(シロハ)が「シルハ」に、通はむ(カヨハム)が「カユハム」に、暇(イトマ)が「イヅマ」になっているのなどは、皆この混同の例といえよう。
 このほか、草(カヤ)が「カエ」に、恋ふらしが「コヒラシ」とある点など、これらのなまりが後世どの程度までみられるかは知らないが、いずれも古代東国の地方音として、まことに貴重な資料であるといわなければならない。
 なお、この防人歌の作者たちの中で、国造丁と見えるものは、一国から集められた防人たちの中の先任者だろうし、主帳丁はその一団の書記係だろうと思われること、この時に九州に向かった防人たちは、満三年の期限が終わるより早く東国の防人が廃止され、予定より早目に帰郷することができたらしいことなどは、すでに第四章(二六一ページ)で述べておいた。