この点は勅撰集以外の、私家集においても同様である。わずかに源重之(しげゆき)の歌集、『重之集』に、
「さねかた○藤原実方の君のもとに、みちの国に下るに、いつしかはまなの橋わたらんと思ふに、はやく橋はやけにけり、
水の上のはまなのはしもやけにけり打けつ波やよりこさりけん」
とあるものが、具体的な内容を持つものであるが、これとても歌そのものよりも、詞書(ことばがき)に値打があるのであって、この歌が長徳年中に浜名橋が焼失していたことを示すとされるのも、詞書に陸奥守藤原実方の名が見えることにより、年代推定が可能であればこその話である。