いほぬし

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 こうみてくると、平安時代の和歌は、万葉集に比べていかにも頼りなく、味わいも薄い。むしろ頼るべきは紀行文であろう。しかし、平安時代の遠江に関する紀行文は、いたって少なく、わずかに増基(ぞうき)法師の『いほぬし』と、菅原孝標(たかすえ)の娘の『更級(さらしな)日記』とがあるだけである。
 増基は十世紀のなかごろ、村上天皇のころの歌僧であるが、『いほぬし』は、前半はおもに熊野など、後半は遠江に下った時の紀行歌文集である。しかし、これらの旅行の年次は明らかでなく、ことに遠江下向の折は晩年と思われ、遁世の一念も固いために、記事はきわめて簡略であり、ほとんど歌集に近く、紀行としての実はない。【浜名の橋】わずかに旅程の末尾にいたって、
 
  「橋のこぼれたるを
 中絶えて渡しもはてぬ物ゆゑになにに浜名の橋をみせけん」
の一首があって、浜名橋の破損を察し得るにすぎない。