保元の乱と遠江の武士

358 ~ 358 / 706ページ
 宮廷と摂関家(せっかんけ)内部のふくざつなもつれが直接の原因となって、保元の乱(一一五六)がおこる。このときに遠江国の横地太郎長重・勝間田平三成長・井伊八郎は、源義朝に味方した(『保元物語』)。
 井伊八郎の武士団の規模は不明だが、当市にあたる地区の人びとも従軍したと考えられる。また「遠江国住人内田三郎家吉」は、範頼・義経(一一五九-一一八九)らの木曾義仲(一一五四-一一八四)追討軍に参加している(『源平盛衰記』)から、保元の乱にも参加したにちがいない。
 
 【遠江守平重盛】保元三年(一一五八)八月、平重盛が遠江守になる(『公卿補任』)。