平治の乱と遠江の武士

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 保元の乱ののち三年をへて、平治の乱(一一五九)がおこる。しかし遠江国の武士は、義朝に味方していない(『平治物語』)。平清盛(たいらのきよもり)(一一一八-一一八一)が勝ち、源義朝(一一二三-一一六〇)は、東国をさしてのがれる途中、尾張国(愛知県)で暗殺される。義朝の子頼朝は、十三歳であった。捕えられたが、命を助けられて伊豆国(静岡県)に流される。
 
 【平宗盛】平治の乱ののち清盛の三男宗盛は、遠江守になり(『公卿補任』)永暦元年(一一六〇)十二月以前に、清盛の二男基盛(『山槐記』永暦元年十二月廿九日条)、安元元年(一一七五)正月、清盛の弟頼盛が遠江権守になっている。平重盛が遠江守になってから、遠江は平氏方となったのであろう(『磐田市誌』)。