こうして武家の代表者は、清盛一本にしぼられた。清盛は、後白河上皇(ごしらかわじょうこう)(一一二七-一一九二)の後援で、武家として、はじめて中央政権をにぎる。しかし、まもなく上皇は反平家派となった。
【北条時政】伊豆国でも関東平野と同じように武士団が成長していた。東部の海岸には、伊東祐親(すけちか)・河津祐康、北部の平野には狩野茂光・新田忠常など、どれも大地主で、有力者である。北条時政は、それほど有力者でないが、在庁官人といい、国衙(地方庁)の役人で、荘園の管理人でもあった。
平清盛