源頼朝

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 【妻政子】頼朝は狩野川の流れがつくった中州のひとつ蛭島(ひるがしま)(『吾妻鏡』による。『平治物語』には「蛭ケ小島」とある。田方郡韮山町)に住まわされた。北条氏の本拠は、そのすぐ近くである。頼朝はのちに北条時政の娘政子を妻とし、そこに館(やかた たち)を構えて住むようになる。これもそのまえの妻伊東祐親の娘のばあいと同じように、政略結婚の「におい」がこい。
 平氏は、上総介(かずさのすけ)藤原忠清を関東八か国の侍奉行(さむらいぶぎょう)として、豪族を統制させたが、伊豆には目代(もくだい)として、山木判官(やまきのほうがん)平兼隆をおき、駿河(静岡県)の目代橘遠茂や長田入道にめいじて、ともに頼朝を監視させた。伊東氏もやはり監視の任務を与えられていたろう。
 頼朝に対して伊豆をはじめ東国の源氏は、ひそかに援助を与えた。ことに伊豆国が源頼政の知行国(ちぎょうこく)となっていたことは、頼朝の生活に便利であったにちがいない。