遠江守護のはじめ

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 翌二十一日頼朝は、千葉常胤らの強い進言をいれ、京都への進撃をやめ、武田信義を駿河に、安田義定を遠江におくことを決定した。また奥州平泉(岩手県西磐井郡平泉町)からきた弟義経を引見した。
 
 【安田義定】義定は遠江守護のはじめであり、遠江は、頼朝勢力の最前線となった。安田義定は、甲斐源氏の安田冠者義清の四男。頼朝の挙兵を聞き、工藤庄司景光らと発向したが、甲斐源氏の討伐に向かう駿河目代橘遠茂らと波志太山(星高山)で戦い、撃破した。そして義定は武田信義とともに頼朝の軍に会する。