侍所をおく

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 頼朝は、佐竹(さたけ)氏を討伐して鎌倉に帰った十一月に侍所(さむらいどころ)をおき、和田義盛をその長官である別当に任命した。御家人(ごけにん)武士を統制・支配・管理し、戦場では軍目付(いくさめつけ)としての監視にあたったのが、侍所の任務で、鎌倉を中心として東国地方を固めるはじめにこの侍所がつくられたことは、大いに意味がある。
 かつて源氏の従者(ずさ)であったが、いまは平家の侍(さむらい)、向背は武士の常だというのが、頼朝挙兵のころの東国武士の一般の態度であった。頼朝と武士との関係は、新たにむすび直されねばならない。頼朝は味方した武士のすべてを引見して忠誠を誓う見参(けざん)の礼を行ない、一身の安全と所領を保証して御家人(ごけにん)とするかわりに、武士としての奉仕をもとめた。