頼朝と同時に、またすこしおくれて、諸国に源氏の武士が挙兵した。甲斐(かい)(山梨県)源氏や信濃木曾谷(長野県)で成長した頼朝の従弟義仲をはじめとして、近江(おうみ)(滋賀県)・美濃(岐阜県)・尾張(愛知県)・河内(かわち)(大阪府)九州・四国地方にと「叛乱」はひろがった。
富士川合戦の翌十一月、朝廷からかさねて頼朝追討の命令がでて、十二月平知盛(とももり)は東国追討使に任命される。しかし翌養和元年二月知盛が病気にかかり帰京したので、二十六日かわって平宗盛を大将軍としたが、清盛の重体のため中止になり、平通盛のみが、二十七日尾張国へ出兵する。