地頭は平安時代のすえごろからおかれ、ことに平氏は、安芸(あき)(広島県)の例のように地頭制度をつくっていた。頼朝は挙兵の翌年に、下河辺(しもかわべ)政義を常陸国(茨城県)南部の地頭とした。頼朝は支配下になった土地を、国・郡・郷・荘・保を単位とし、おもに東国出身の御家人に地頭職(じとうしき)として与えた(国地頭はのちになくなる)。御家人の所領を保証し、御家人に所領を与える時に、地頭職を採用した。これは地頭職が警察権をもっていたからである。大罪については守護の職権だが、地頭は軽い犯罪を捜索し、逮捕し、処分する権限を与えられている。