頼朝の粛正

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 日本国総追捕使・総地頭の地位をえた頼朝は、中央政府の改革を要求し、法皇側近の多数を追放し、九条兼実(くじょうかねざね)をはじめ、親鎌倉派の貴族たちを議奏(ぎそう)とし、重要な政務の会議にあたらせた。頼朝は、重大な決意で粛正をしたのである。
 兵粮米の徴収と、地頭の設置に対して、貴族や社寺からの反対はきびしかった。これに対し、頼朝は個別的に譲歩せざるをえなかったけれども、原則的な立場はよく守りぬいた。