義定の左遷

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 建久元年(一一九〇)正月二十五日、朝廷の県召除目(あがためしじもく)(地方官選任会議)で義定は、朝廷や法皇のことに勤めていないとの理由で、下総守(しもうさのかみ)に遷された。頼朝は義定の愁嘆をみて、彼の嘆願書に書状をそえ、二月十日飛脚を走らせた。行程は五日と定めてある。しかし二月十八日にこの願いは却下された。七年間も知行していて他国に遷すのは、寛大な処置だと付言された。