義定の死

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 諸源氏を排斥する機会をねらっていた頼朝は、義資の問題を契機とし、甲斐源氏の雄安田氏を弾圧する口実を握った。そして十二月義定に対し、父としての責任を問い、遠江浅羽荘の地頭職を没収し加藤景廉に与えたのみでなく、翌五年八月反逆の罪により、甲斐国(山梨県)で梟首した。時に六十一歳。