見付の国府

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 安貞(あんてい)元年(一二二七)七月、隆寛は浄土宗を布教した罪を問われて流罪(るざい)となり「みつけの国府」に滞在したことがある(『法然上人行状画図』)。また阿仏尼は、訴訟のため鎌倉に下る途中で遠江見付の国府について、その景観を「里あれて物おそろし」と表現している(『十六夜日記』一二七七)。