頼朝の上京

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 平家滅亡ののち、後白河法皇の再三のまねきをうけても、頼朝は上京しない。文治五年(一一八九)の奥州征伐が終わってからようやく上京の決心をし、翌建久元年(一一九〇)十月、大軍をひきいて京都に入った。全国統一の大事業を法皇はじめ貴族たちに誇示し、院政政権の中での親幕派九条兼実(かねざね)(一一四九-一二〇七)の地位をいっそう安定させるなどの目的があったろう。法皇は頼朝をいろいろと好遇している。