頼朝再度の上京 その誤算

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 頼朝は、建久六年(一一九五)三月ふたたび上京する。そして娘の大姫を後鳥羽(ごとば)天皇(一一八〇-一二三九)の后(きさき)にすすめたいと熱望し、関白兼実の政敵土御門通親(つちみかどみちちか)(一一四九-一二〇二)のがわに運動した。その結果は、頼朝が関白兼実をみはなしたかの観を与えた。通親らは幕府の圧力をはねかえすため、兼実の排斥を計画し、建久七年十一月兼実を失脚させた。大姫は、その七月鎌倉で死んでいる。