目次
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中世編
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第二章 鎌倉時代
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第二節 承久の乱
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頼家と実朝の悲劇
合議政治
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十八歳の嫡子頼家(よりいえ)が頼朝のあとをついで三月もたたぬ正治元年(一一九九)四月、母政子は、頼家の訴訟を裁決することをとめる。そして北条時政(一一三八-一二一五)ら十三名の元老たちが合議して判決することに改めた。頼朝の独裁的な支配に服従していた関東の御家人たちが、自分の立場をおしだそうとし、また政子の父時政の動きもあったためであろう。