頼家の死

380 ~ 380 / 706ページ
 つぎに比企能員は、時政の謀略によって建仁三年(一二〇三)九月殺される。頼家は時政を追討するようにめいじたが、かえって伊豆修善寺(しゅぜんじ)に閉じこめられ、翌元久元年(一二〇四)七月、入浴中を時政の兵に暗殺された。その前年建仁三年九月七日、時政は将軍病死といつわり、その弟実朝を将軍にしている。