実朝は十二歳である。時政は、幕府政治の表面に浮かびあがり、第一の実力者となった。北条氏執権政治の基礎は、ここにかためられた。しかし時政は功をあせり、実朝を殺そうとしたため、子義時や政子に追放される。
時政の考えたことは、義時により、さらに巧妙に力強くおし進められる。建保(けんぽ)元年(一二一三)五月、北条氏に対抗できる実力者で侍所別当(さむらいどころべっとう)の和田義盛は、時政の謀略によって挙兵するが、敗死した。義時は政所別当と侍所別当をかねる。ここに北条氏は、幕府の政治機構のうえに、はっきりと権力をうちたて、執権政治を成立させることに成功した。