将軍実朝は、源氏の最後を予感して、官位がのぼることを朝廷に願い、建保六年(一二一八)十二月、二十七歳で右大臣(うだいじん)にのぼった。武将としての身分にふさわしくないことである。朝廷では、このようなことをすれば、その人に不幸が起こるという考えかたがある。実朝は承久(じょうきゅう)元年(一二一九)正月、鶴岡(つるがおか)八幡宮で右大臣になった式をおえて、社前の石段をくだってきたとき、領家の遺子公暁(くぎょう)に暗殺された。実朝には実子がなく、源氏の正統は断絶した。公暁の乳母(めのと)の夫三浦義村は、公暁を将軍にたてようとする。そして公暁は、実朝を殺したが義時は殺せなかった。そこで公暁は義村の手で殺害されたのが真相であろうという。